老舗のぼんぼんと取り巻く女たちの人情ドラマ
《あらすじ》船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治(市川雷蔵)は、祖母(毛利菊枝)と母(山田五十鈴)の勧めで弘子(中村玉緒)を嫁にしたが、三代も養子旦那が続いて絶大な力となった二人の嫁いびりで、実家で長男を生んだ後に離縁した。
その後の喜久治は花街に足を入れるようになり、父が死んで河内屋の主人におさまるや、彼の商売上手が人気を呼んで店は繁盛し、それにつれて女遊びはますます盛んになって、女性関係も派手になる一方だった。
二号となった芸者ぽん太(若尾文子)には男の子を生ませ、娘仲居の幾子(草笛光子)が芸者に出たのを機に三号で囲って、その幾子は難産の末に亡くなった。その他カフェの女給の比佐子(越路吹雪)、仲居頭のお福(京マチ子)と妾同様の女がいた。
日中戦争が始まって世の中は不景気の一途を辿り、やがて太平洋戦争に突入すし、空襲で河内屋も蔵一つを残して焼失した。そこへぽん太、比佐子、お福がやって来て、喜久治は金庫の金を等分に分けて、河内長野の菩提寺に行くよう仕向けた。祖母と母も田舎に返そうとしたが、船場の悲惨な状況に落胆した祖母は半ば自殺のように死んでしまった。
戦争が終わり、菩提寺を訪れた喜久治は、三人の女のあけすけな姿をのぞき見して、これで放蕩も終わりと見切りをつけ、女に会わずに帰った。
昭和35年、57歳になった喜久治は、彼なりに商売に対する夢を抱いているが、今は二人の息子と共に住み、むしろ子どもたちの世話になっている身、ぽん太の子・太郎からは今更足袋屋でもないと諭されてしまう。
《感想》ぼんちとは「器の大きいぼんぼん」のこと。喜久治の女遍歴が軸になってはいるのだが、喜久治が渡り歩いた五人の女たちや一卵性母娘のような祖母と母、それら取り巻きの女たちのたくましさが事細かに描かれる。
当時の船場のしきたりというのがあって、家を守るため祖母と母が口うるさくえげつなく暗躍するのだが、女系家族で育った二人が嫁いびりの自覚がないままエスカレートする様が凄くて、怖さ半分、おかしさ半分。
また、船場のしきたりでは公然と妾を認めていて、妾となった芸者ぽん太がしきたりに従って本宅を訪れ「二号の本宅伺い」の口上を述べるのには、驚くとともに笑ってしまった。
内容は今から見れば常識外れなのだが、登場する女性の話しぶりやその佇まい・作法には凛とした美しさがあって結構心地よく、ぼんちの持つ飄々として憎めないキャラが絡むと、どこか人間臭い世界を思わせ、大らかでホッコリする人情ドラマになっている。
演出は、時折省略し過ぎではないかと思えるくらいのリズミカルなカット割りでテンポ良く、映像(撮影宮川一夫)も町行く人の往来、近代的なビル群と昔ながらの町並み、そんな人住む町の風景を印象的に挿入し、映画全体にリズム感を与えている。
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