旧家の主の死と、残された家族の思いを描く東宝作品
《あらすじ》造り酒屋を営む小早川家は、万兵衛(中村鴈治郎)が隠居し、娘・文子(新珠三千代)と夫・久夫(小林桂樹)に仕事が渡っていた。秋子(原節子)は小早川家の長男に嫁いだが、子どもを残して夫に死なれてからは画廊に勤めている。
万兵衛の気がかりは末娘の紀子(司葉子)と秋子の縁談だったが、自身の女道楽が再燃し、素人旅館を営むかつての愛人つね(浪花千栄子)とその娘・百合子(団令子)の元へ足繁く通っている。
万兵衛は心臓に病を抱え、家族を大騒ぎさせたり、ケロリとして遊びに出かけたりしていたが、つねの家で心臓の発作を起こし、息を引き取ってしまう。
葬式を機に集まった親戚の人たちが声を揃えて言うのは、ここまで商売を盛り上げたのは万兵衛のお陰で、大資本の波が押し寄せる時代にあって、今後は合併やむなしというもの。そんな小早川家の将来不安とは別に、紀子は心を寄せる大学助教授が住む札幌に行くことを決め、秋子は再婚せずに今もままいようと思う。火葬場の煙を見ながら、秋空にそれぞれの思いを浮かべていた。
《感想》松竹の小津が東宝に招かれて撮ったもので、東宝オールスターという豪華さになり、造り酒屋の大家族と結婚騒動に絡む関係者(端役)もスターばかり、目移りするようなスケールのホームドラマになっている。
舞台が北鎌倉から関西に移動し、鴈治郎は強烈キャラで立ち回っているし、森繁、山茶花究、加藤大介ら東宝喜劇の面々が軽妙なやりとりでにぎやかなのだが、物語は相変わらずの親子関係や結婚の話で、映像も本来の小津調。大映作品「浮草」で感じた違和感(これはこれで魅力なのだが)はなかった。
主人公の万兵衛は、「焼け棒杭に火が付いた」形で老いらくの恋に走り死を迎える。奔放に生きた人の死なので湿っぽさはないが、ラストの長い葬送シーンには、「小津の死生観の表れ」ととらえる見方があり、これには同感している。
本作の後、古巣松竹で「秋刀魚の味」を撮って死去、自らを「道化」と称していた小津は、万兵衛を思いきり道化として躍動させ、唐突な死を迎えることで、この世の無常を描きたかったのかも知れないし、火葬場の煙突や墓石を強調し、橋を渡る葬列を延々撮っているのはやはり尋常ではない。
ラスト近く、農夫・笠智衆のセリフ「死んでも後から、せんぐりせんぐり生まれてくるわ」……人は誕生し、人として生き、やがて死ぬ。この世ははかないが、次の世代がまた時代を作るという「輪廻思想」。一度きりの人生、いずれ世を去り存在は消滅するという「無常観」。小津の墓石には「無」と彫られているらしいが、こういった小津の死生観・無常観が色濃く表れていて、この作品を特異なものにしている。
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