疑似家族が「家族」であるための愛と思いやりを描く
《あらすじ》幸野双葉(宮沢りえ)は1年前に夫が蒸発し、営んでいた銭湯を休業してパートで働き、一人娘の安澄(杉咲花)を育てていた。ある日、パート中に倒れ病院で余命2か月ほどの末期がんであることが判明し、死ぬまでにやることを決め動き出す。
探偵を使って夫・一浩(オダギリジョー)の居所を突き止め事情を話して連れ戻すが、一浩は同居の女性に逃げられその連れ子と暮らしていたため、奇妙な4人の同居生活が始まる。16歳の安澄は学校でイジメに合い、独り立ちして欲しい双葉は「逃げずに立ち向かえ」と檄を飛ばす。
まだ母親が恋しい連れ子の鮎子(伊東蒼)は実母を求めて家出するが、双葉と安澄に見つけられ「みんなと一緒にいたい。でもママが好きでもいいか」と伝え、家族として共に生活することになる。
そして、双葉、安澄、鮎子の三人は車で旅に出る。毎年、安澄の誕生日にカニを送ってきていた安澄の本当の母・君江に会わせることと、真実を知らせるためだった。聴覚障害をもつ君江のため、将来役立つだろうと安澄に手話を習わせていたので、二人は手話で会話することが出来た。
やがて双葉が亡くなる。銭湯で葬式が行われ、霊柩車に遺体は乗せられるが、川辺で一休みして車はUターン、(双葉の火葬は銭湯で行い)皆で銭湯の湯につかり、双葉の熱さ、温かさを讃えるのであった。
《感想》このラストシーン、現実にはあり得ないだろうが、前作「チチを撮りに」のラスト、亡くなった父の遺骨をもらった母が「この川を拝めばいい」と遺骨を川に投げてしまうシーンと似ていて、中野の死生観の表れと見た。
家庭環境も「肉親の愛に欠けた人」ばかりで構成されていて、よく似ている。双葉と安澄は義理の母娘だし、雇った探偵は妻に死なれて幼い娘を連れての仕事ぶり。鮎子は母に捨てられていて、余命わずかな双葉が実母に会いに行くと「そんな人は知らない」と会ってもらえない。
この物語は、他人同士が血のつながった本当の家族のように、お互いを思いやり、愛していて、その中心に双葉がいる。家族とは、人を思いやるとは、と考えさせられる。
宮沢、杉咲、伊東の三女優の演技に思わず涙腺が緩む。所々に散りばめられた伏線も見事に回収されている。
末期がん患者が車を運転して旅に出るとか、ラストの銭湯火葬など無理も散見されるが、感動を削ぐほどのものではない。物語がもつフィクションゆえの豊かな世界、想像の世界に遊ぶ楽しさ、そんな中から伝えられる真実もある。
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