『家族の肖像』ルキノ・ヴィスコンティ 

老人の孤独を救った疑似家族、そしてその崩壊

家族の肖像

《公開年》1974 《制作国》イタリア、フランス
《あらすじ》ローマの豪邸に住む老教授(バート・ランカスター)は、18世紀英国で流行った「家族の肖像画」のコレクションに囲まれ、家政婦らと共に孤独で静かな暮らしをしていた。
そこに、画商を通して近づいてきたのがビアンカ(シルヴァーナ・マンガーノ)で、娘のリエッタ、その婚約者ステファノ、ビアンカの愛人コンラッド(ヘルムート・バーガー)らを引き連れて邸宅の二階に住みついてしまう。教授は価値観の違う若者たちの行動に気が滅入ったが、コンラッドは芸術の理解者でもあって興味を覚える。ある晩、教授は心を開いて彼らを夕食に誘うが、すっぽかされて彼らは船旅に出ていた。
旅から戻り再び二階の住人となったコンラッドは、深夜、右翼青年の急襲を受け怪我を負う。コンラッドは左翼の活動家、ビアンカの夫は実業家で右翼の過激派と通じていて、ステファノもコンラッドとは対立する立場にいた。
そして、ミュンヘンに向かったコンラッドが国境で不審尋問にあい、身元引受人になった教授の元に戻り、教授は晩餐会を催した。政治的立場で激しく対立するコンラッドとステファノは互いに罵倒し合い、殴り合い、教授はなす術もなかった。
孤独な老教授は、突然出現した間借り人たちに振り回されたが、若者たちとの出会いが彼の生き方を変えることにもなり、希望の光になる。教授は「君たちは私を眠りから覚ました。深淵で無感覚で、音のない死の世界から」と述懐する。しかし、若者の生き方、考え方は教授とは一線を画すものだった。
やがて、コンラッドは立ち去り、翌日教授あてに永遠の別れを告げる手紙を残して、二階で爆死してしまう。若者コンラッドの絶望と死によって、教授も唯一の希望を絶たれ死を迎えようとしている。



《感想》教授のセリフ「老人とは奇妙な動物だ。愚かで狭量で、突然孤独が怖くなり、自分を守ろうとする」「(始末の悪い間借り人を指して)家族と思えばいい。どんな結果になっても受け入れられる」。
疑似家族を得て、孤独な暮らしから抜け出せたはずなのだが、それも失い孤独な死へと向かってしまう。美青年コンラッドへの愛は、もしかしたら子どもへの愛以上のものがあったかも知れない。
美しくて残酷で甘美な世界。ほとんど室内映画だが、その美術品やセットが素晴らしく、音楽(クラシック曲以外はフランコ・マンニーノ)もぴったりマッチしている。そして、若者たちの破天荒な動きに劇的緊張が込められ、教授の人生の真理が詰まったような名セリフに感心させられる。
退屈することを許さない芸術映画。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

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「『家族の肖像』ルキノ・ヴィスコンティ 」への1件のフィードバック

  1. 人間は欲望に負けると常識を失ってしまう.
    老教授は絵が欲しいと言う欲望に負けて、非常識極まりない一家を受け入れてしまった.
    そして、自分の跡継ぎが欲しい、子供が欲しいという欲望に負けて、乱交パーティでの娘の言葉、「子供が出来たら、産んで上げる」と言う言葉を真に受けて、コンラットを跡継ぎにしようとしたのだった.

    人間は常識を失うと欲望だけが残る.
    母親は性的欲望の塊.
    コンラットは金銭的欲望の塊.

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