『生きる』黒澤 明 1952 

死に直面したとき初めて問われる「生きる意味」

《あらすじ》自分が胃がんであることを知った市役所市民課長の渡辺(志村喬)は、それまで無気力な生活を送っていたが、不意に訪れた死への不安などから、残された日々をいかに過ごすか思い巡らせ、市役所を無断欠勤して大金を胸に夜の街をさまよう。
飲み屋で偶然知り合った小説家(伊藤雄之助)の案内でパチンコやダンスホールなどを巡るが、放蕩の虚しさだけが残った。そして、市役所を辞めて玩具工場に勤め始めた小田切とよ(小田切みき)の若い生命力、奔放な生き方に惹かれ、作っているという玩具を楽しそうに見せ「あなたも何か作ってみたら」の言葉に心を動かされる。
次の日、渡辺は市役所に復帰し、5か月の後に亡くなる。その通夜の席で、役所の関係者がこの5か月の渡辺の様子を口々に語りだす。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取っていた。
その夜、市役所の同僚たちは常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し批判し、渡辺の功績を讃えた。
しかし翌日の役所では、その同僚たちは相変わらずの「お役所仕事」を続け、新しく出来た公園では子どもたちの歓声が溢れていた。

《感想》志村の大仰な顔芸と怪演、伊藤演じるエセ無頼派作家のうさん臭さ、小田切のまさに戦後復興を想起させる天真爛漫な快活さ……がんに侵された悲壮感より、ユーモアと皮肉を込めて「生きる」ことの意味と、社会への(必ずしもお役所仕事だけでなく)辛辣なメッセージを強く感じる。
ややリアリティに欠けたストーリーだし、押しつけがましさを感じるところもあるし、加えてコントラストのはっきりした極端な演出と、好き嫌いは別れるところだが、戦後復興の息吹と、生きていく強い志が感じられる点で、単なる道徳映画を超えている。メッセージに「血が通っている」のである。
世界に影響を与えるクロサワの魅力、それはヒューマニティとダイナミズム、これらで作り上げるエンタテイメントに分かりやすいメッセージ。だから、「羅生門」「七人の侍」「用心棒」と数多く海外でリメイクされている。
小津、溝口も世界的評価を得ているが、黒澤の場合は、他国の文化として受け入れられるのでなく、共通の土壌に立った作品作りをしている点で別格である。決して、小津、溝口を超えているということでなく、海外で容易に理解される「分かりやすさ」と、魅力的なキャラ、ダイナミックなアクションなど独自の世界観を持った映画作家として評価されているのである。
本作も、「死に直面した」主人公ながら、悲壮に陥らずユーモアも交えて、生きる意味を問い直す、とてもバランスのいい人間ドラマになっている。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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