小さな漁師町に暮らす二人の移民の静かな愛
《公開年》2011 《制作国》イタリア、フランス
《あらすじ》「小さなヴェニス」と呼ばれる漁師町キオッジャ。シュンリー(チャオ・タオ)はそれまで働いていた縫製工場からこの地のオステリア(居酒屋パブ)勤務を命じられる。馴れない接客業に戸惑いながら、訪れる高齢の客とも馴染み、特に常連の一人ベーピ(ラデ・シェルベッジア)と親しくなる。
シュンリーはシングルマザーの中国人で、中国の「組織」に借金があり、返済までは子どもと離れ異国の地で働かなければならない事情がある。一方のベーピはユーゴからの移民でこの地に来て30年になり、息子からの同居の誘いを拒み、一人漁師を続けている。ともに異邦人であり、孤独な境遇が二人を近づける。年齢も離れていて、恋愛関係にはないのだが、周囲にはそう映らず、「中国人が他国に進出し、たらし込んで資産を奪っていく」と噂される。
オステリアに悪い評判が立ち始め、シュンリーはオーナーから「客と親しくしないよう」厳命されるが、店で中国人を揶揄する地元の男とベーピが喧嘩騒ぎを起こしてしまい、シュンリーはこの職場を去り、元の縫製工場に戻る。
しばらくして故郷に残してきた息子が突然現れ、借金が返済されたと告げられるが、誰が返済してくれたのか突き止めようとしても誰にも分からない。唯一の手掛かりであるキオッジャを訪ねると、ベーピは既に亡くなっていて「自分の漁師小屋を譲る」という手紙が残されていた。
返済した恩人は当時同室だった中国人女性と分かるが、イタリア人のベーピには借金の返済ができないので、あるいはこの女性を介して返したのかも知れず、真相は謎のままだった。
ベーピの遺言に「いつか話してくれた詩人(屈原)と同じ葬儀を頼む」とあって、その遺志に沿って漁師小屋を燃やし、弔いの炎を水面に浮かべエンド。
《感想》脚本・監督のセグレはドキュメンタリー映画作家で、初の劇映画になる。
屈原を奉るお祭りでは、ロウソクを立てた蓮の形の灯籠を水面に浮かべるという風習があり、それを真似したベーピが、浸水した店の床にロウソクを浮かせるシーンがあった。温かさとはかなさを併せて感じさせる印象に残る映像で、これがラストの弔いの形につながっている。
息子を故郷に残してきたシュンリーと、家族と離れて暮らすベーピ、ともに異邦人で孤独を埋め合うかのように寄り添う二人だったが、ムラ社会に根強い移民排斥感情による邪推と迫害によって裂かれていく。
この映画の素晴らしさは、ドキュメンタリー(社会性)と詩(芸術性)がうまく溶け合っていること、そして静謐な中に描かれる映像美。あえて物足りなさを指摘するならば、シュンリーの背後にある組織、そこで彼女が置かれている境遇の説明が欲しかった。でもやはり静かな秀作。(注:日本語版DVDは現在廃盤です)
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