戦時下に、国や村をも敵にした凄絶な純愛映画
《あらすじ》お兼(若尾文子)は病身の父を抱えた一家の生計を支えるため、六十を越えた呉服商の妾になり、その呉服商が亡くなり、病気の父も亡くなったため、村に戻り母お牧と二人暮らした。村の暮らしが気に入らないお兼はものうい放心した日々を送っていた。
そこへ村一番の模範青年の清作(田村高廣)が除隊して帰郷し、村人からの大歓迎を受け、また村人を惰眠から覚ますような行動に英雄視もされていた。そんなある日、お牧の急病で、清作が医者の元に走るという出来事があって、それをきっかけに清作とお兼は愛し合うようになった。お兼の家は村八分同様で村人から疎まれていたが、お牧が亡くなり、清作の尽力で野辺送りが済んで、二人は結婚し清作がお兼の家に入った。それからのお兼は性格が一変して働き者になり、甘く充ち足りた日々を送った。
ところが日露戦争が勃発して清作は出征し、ある日負傷して帰郷した。やがて傷は癒え再び戦地に戻る日が来て、村人の期待を受け、本人も軍国の模範青年たる気概を持って向かおうとしていたが、お兼と清作が二人になったとき、突然お兼は五寸釘で清作の両眼を刺した。咄嗟の出来事に村人は呆然とし、お兼は半狂乱であった。お兼は2年の服役、清作は軍法会議行きとなったが戦地行きは免れた。
服役を終え戻ったお兼に清作は言った。「盲になり、卑怯者になり、一人になって、やっとお前の心が分かった。お前のおかげで俺は普通の人間になれた。お前がいなかったら、いつまでも馬鹿な模範兵、世間ばかり気にする阿呆だった」。日露戦争が終わるころだった。
《感想》脚本は新藤兼人で、増村とガップリ四つに組んで、強い反戦色と、狂気に満ちた恋愛観に彩られた世界を描いた傑作である。
日本的ムラ社会への挑戦、個人の赤裸々な欲望が社会的秩序を超えてしまう、主体性の確立というメッセージは読み取れるが、声高に反戦をのみを唱えているわけではない。
戦争もムラもこの映画の中では同列に描かれている社会的存在で、それに従順に生きてきた清作が、社会から理不尽な扱いを受け「愛という個の世界」に生きているお兼によって、その座から引きずり下ろされる。
まさに狂気の世界だが、この破滅的情愛を増村は力強く正当化する。近松心中ものとか谷崎の世界に共通するものを感じるが、エゴに生きるしかない、理性より感情を勝利させた、純愛映画と解する。
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