『復讐するは我にあり』今村昌平 1979 

愛を見失い狂気に走った男の業を描く

《あらすじ》昭和39年、5人の殺害容疑と詐欺で榎津巌(緒形拳)が逮捕され、78日間の逃亡生活への本格的な取調べが始まった。
榎津の生まれは五島列島で、父鎮雄(三國連太郎)は敬虔なクリスチャン、榎津は偽善的な父親に反発し、犯罪を繰り返すようになる。最初の殺人は福岡での専売公社職員2名を殺し、集金した金を奪った事件である。榎津は指名手配となり捜査は実家に及ぶ。別府で温泉宿を営む榎津の実家は、父と病身の母、妻の加津子(倍賞美津子)と二人の娘がいたが、榎津は家を嫌って女のところを渡り歩いた末、今回の殺人事件を起こした。加津子は温厚な義父を敬愛し、榎津はそんな二人の仲を疑っていた。
榎津は各地で詐欺を働きながら逃亡を続け、浜松の売春宿で、そこの経営者の愛人ハル(小川真由美)と、殺人服役の過去を持つ母ひさ乃(清川虹子)に出会う。榎津はここに滞在するうちハルと深い仲になっていくが、ここも危険になって、千葉~東京で詐欺を働き、知り合った弁護士をだまして金を奪い殺害する。やがて榎津の正体を知ることになったハルだが、母の反対を押し切って榎津を自宅に匿い、一緒に逃亡する覚悟まで決めていた。前科のある母を持ち、旦那からは屈辱的な扱いを受け、絶望の中で生きてきたハルにとって、榎津は離れ難い存在になっていた。
しかし、東京での弁護士殺しがバレて、榎津はますます追い詰められ、ついにハルとひさ乃を絞殺し、家財道具を売り払おうとする途中で目撃者が現れ逮捕される。
死刑が確定した榎津は拘置所で父と面会し、互いに憎しみを吐き合い、榎津にとってどうしても殺したい相手は父だったと言う。そして5年、死刑が執行され、榎津の遺骨を山頂から憎しみを持って投げ捨てる父と妻の姿があった。

《感想》殺人の過去を持つひさ乃の一言が家族ドラマの本質を浮かび上がらせる。「わしは(被害者を)本当に憎くて殺したが、あんたは殺したい人間を殺してねえのか?」。カトリック信者の父は、悪行を重ねる息子を嫌いながら表向き見捨てられず、夫婦仲の冷えた母は代わりに息子を甘やかしてワルを助長させ、来た嫁と義父の仲が男女の仲になってしまい、それらが絡み合いラストの罵倒合戦となる。憎くても捨てられない、殺せないのが親子である。
もう一つのドラマがハルとの微妙な心の交流である。極悪非道の榎津だが、ハルを殺した理由については取調べで「よくわからない」と供述している。ハルの首を絞めるとき、一瞬躊躇し動揺を見せている。自分の正体を知りながらも、自分を求めてくれ、一緒に逃げることを望んだ女だから、やがて死にいくであろう自分と、いわば心中のような気持ちで殺したのではないか。
親子であれ男女であれ、愛は切ない。愛を見失った男は犯罪に走り、愛を捨てた男は別の愛に走る。人の業は深い。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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