栄光の後に挫折、世の厳しさに直面した若者を残酷に描く
《あらすじ》配達のアルバイトをしているシンジ(安藤政信)と職探し中のマサル(金子賢)が偶然再会し、馬鹿なことにエネルギーを費やしていた高校時代を回想する。
落ちこぼれの烙印を押された不良の二人はカツアゲを繰り返していたが、相手が呼んだ助っ人のボクサーに簡単にのされてしまい、二人はジムに入門した。ところが才能があったのは意外にもイヤイヤ付いて行ったシンジの方だった。そしてシンジは本格的にプロを目指し、面白くないマサルはジムを辞めヤクザの世界に足を踏み入れてしまう。高校を卒業したシンジはプロボクサーとしてデビューし、マサルは子分を抱えてシマを任されるまでにのし上がった。
しかし、敵対する組織に組長を撃たれたマサルは、組同士の利害を考えて事を荒立てようとしない親分に盾突いて、厳しい制裁を受けた。
一方、シンジは芽の出ない先輩ボクサーから飲食の悪習を吹き込まれて体調を崩し、大事な試合に惨敗した。
ともに苦い挫折を味わった二人は、それぞれの世界から身を引き、今、高校生の頃のように自転車に二人乗りしながら、高校のグラウンドを走る。
「俺たち、もう終わっちゃったのかなぁ」と尋ねるシンジに、マサルは「バカヤロウ、まだ始まっちゃいねえよ」と答える。
《感想》1994年のバイク事故で死に直面した北野が、ブランクを経て撮影した復帰作(第6作)で、それまでのバイオレンス路線と一線を画するオーソドックスな青春映画。主演二人の初々しさもあって、(良くも悪くも)一般受けする無難な映画に仕上がっている。
二人以外にも、漫才師を目指す若者、真面目にハカリの営業の職に就いて、後にタクシー運転手に転職する若者らが絡んで、それぞれの青春が語られる。
畦道に落ちたタクシー運転手、減量できずに敗れ去っていくボクサー、組長の身代わりになって投獄される若頭……それを生業として生きることの厳しさに直面し、挫折していく。
二人も例外ではなく、ラストでは終わりかけの青春を自覚しながら、それでも生きていく(生きていかざるを得ない)ほろ苦さが感じられる。
若者の栄光と挫折を通して、人が人を潰していく世の中の厳しさを残酷に描き、ラストのやり取りの言葉に、この当時北野自身が晒されていた厳しい世論に対するアンチテーゼが込められている。
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