残酷にして美しく、家族愛と平等を希求した映画
《あらすじ》平安朝の末期、丹後の国守をしていた父・平正氏が筑紫に左遷され、母玉木(田中絹代)、その子厨子王と安寿の兄妹、女中姥竹の4人は母の故郷に向かう途中、人買いに襲われて引き離され、女中は身を投げ、母は佐渡に売られ、兄妹は丹後の荘園領主・山椒大夫(進藤英太郎)の奴隷として売られた。
兄は柴刈り、妹は潮汲みと過酷な労働と虐げられた環境に苦しみながら10年が過ぎたある日、佐渡から売られてきた子の口ずさむ歌に兄妹の名があるのを耳にして、二人は母の消息を知った。安寿(香川京子)は厨子王(花柳喜章)に逃亡を勧め、自分は追っ手を食い止め、兄を逃がした後で彼女は入水自殺をしてしまう。
厨子王は中山国分寺に隠れ、寺僧(実は父の所業を悲しんで家出した大夫の息子)に匿われ、都に出た厨子王は関白に直訴する。一度は捕らわれて投獄されたが、彼が正氏の嫡子であることが分かり、丹後の国守に命じられた。彼は着任すると直ちに人身売買を禁じ、右大臣の私領たる大夫の財産を没収した。そして国守の職を辞して佐渡に渡り、盲目となり足も不自由な母と涙の再会を果たした。
《感想》森鴎外の原作では姉弟だが、映画では兄妹に変わっている。本来説話・伝承として伝えられたものを鴎外が小説にまとめたものだが、映画では説話性を払拭し、物語をリアリティあるものにしている。
(1)説話→(2)小説→(3)映画の変化をみると、(1)もっと残虐性や復讐心に満ちた荒々しい情念の世界→(2)あらすじは踏襲しながら、家族の愛と絆の物語にした→(3)更に人の道、人権問題をテーマに加えている。
映画世界で描きたかったものは、親子の物語であるとともに、大人になった「その後」に重きを置き、物語を膨らませた上に、虐げられた人たちの救出と平等社会の実現という強いメッセージを伝えたかったものと思える。そのためには、厨子王が丹後の荘園領主・山椒大夫に対峙できるだけの人物に成長していなければならず、これが姉弟を兄妹に変えた所以と解釈している。
残酷にして美しい映画。人身売買が横行し、売られた者は過酷な労働を強いられ、働けなくなれば死に至る。権力者は絶対で、厨子王も命じられるままに、より弱い者に残虐な行為を強いられる場面があるが、生き残るためには致し方ないこととはいえ、彼の心の傷となり、後の厨子王がヒエラルキー破壊に向かう原動力になっている。溝口はこれを描きたかった。
映像の美しさは宮川一夫のカメラによるところが大きい。有名な安寿の入水シーン、水面の波紋が美しさと悲しみを湛えている。そして、溝口とのコンビだからこその完璧な美の世界を作り出している。
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