障害のある子を遺す父の心情が切々と響く
《公開年》2010 《制作国》中国
《あらすじ》父子家庭でありながら、がんで余命わずかと診断された水族館職員のシンチョン(ジェット・リー)は、自閉症と知的障害を持つ21歳息子ターフ―(ウェン・ジャン)の将来を案じて心中を図るが、泳ぎの得意なターフ―が足かせをほどいて死にきれず家に戻った。
仕事の合間に、自分の死後預かってくれる施設を探し、掃除の仕方やバスの乗り方など一人で生きていくために必要なことを根気よく教えていく。ときには爆発し、ときにはいら立ち、でも父親が長生きする海亀になって、いつまでも寄り添うことを息子は理解していった。向かいの家で食料品店を営む女性チャイ(ジュー・ユアンユアン)はシンチョンに思いを寄せ、部屋の片づけや洗濯、食事の用意など何かと世話を焼いてくれる。また、水族館に巡業で来たサーカス団の女ピエロ・リンリン(グイ・ルンメイ)にターフ―が淡い恋心を抱き、仲良くなった彼女から電話のかけ方を教わるようになる。
そして父は亡くなり、葬儀の場で水族館館長が養護施設長に、ターフ―の後見人になることを申し出て、父親の願いが報われることとなった。ターフ―は水族館の清掃員になり、海亀になった父親とたわむれながら一緒に泳ぐ姿でエンディング。
《感想》全編を通して、自閉症の息子に対する父の愛情、周囲の人たちの温かい眼差しが印象的である。そして、成人した障害者を受け入れる施設がないこと、自閉症という障害が一般に理解されにくい現実を知る。また、重度精神障害の施設を訪れ引き返すシーンでは、絶望の淵を垣間見るとともに、それより軽度の障害者を受け入れる環境がないという現実の厳しさを知ることになる。「遺して死ねない」という父親の強い思いがヒシヒシと伝わってくる。
あまりにストレートで、周囲は善人ばかり。障害者自身の生きづらさが直接描かれていないことが不満と言えなくもないが、「あえて描かなくても」という作り手の思いは十分に分かる。シンプルだからいいのかも知れない。
一つ心に残ったのが、幼い頃亡くなった母親の死の真相がさりげなく語られていること。息子の障害を知り、将来に絶望して自ら命を断った(と父親は推測している)と示唆している。母親を責めたことはないのに、と。母親を孤独に追いやってしまった父親の負い目ともとれるし、一人で「障害者の親」を引き受けざるを得ない、追い詰められた心情の吐露ともとれる。去った者も、残された者も切ない。
撮影クリストファー・ドイルによる海や水槽の映像美、久石譲の音楽はオーシャンブルーにふさわしい世界を作り出している。
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