『浪花の恋の物語』内田吐夢 1959

現実と虚構が交差して描かれる究極の恋物語

浪花の恋の物語

《あらすじ》浪花の飛脚問屋亀屋の養子・忠兵衛(中村錦之助)は、同業の丹波屋八右衛門に無理矢理連れ込まれた郭で遊女梅川(有馬稲子)に出会い、お互いに一晩で惹かれあって、その日から忠兵衛は頻繁に梅川を訪ねるようになる。
折しも小豆島の大尽から梅川の身請け話があり、それを知った忠兵衛は、八右衛門に届ける金を身請け料の内金にして郭に居続け、一旦は帰るものの、更に仕事で預かっている武家の為替三百両を懐に郭に行ってしまう。郭では梅川の身請けの祝宴を挙げようとしていて、身請けの残金を入れたら待ってもいいと言われ、郭の主人や大尽に馬鹿にされた忠兵衛は口惜しく、思わず懐の小判の封印を切って、その金を主人の前に置き梅川を連れ去ってしまう。封印切りは公金横領であり獄門である。捕り方に追われる身となるが、二人はどこまでも一緒にいようと逃げ、忠兵衛の実の親が住む新口村の入口で捕らえられる。
近松門左衛門(片岡千恵蔵)はこの話を人形浄瑠璃に仕立てていて、現実がこんなに残酷なら、せめて虚構の世界だけでも二人を幸せにという気持ちから、二人が忠兵衛の実父と再会後に逃げ延びるという結末にしている。その人形浄瑠璃を観客席から見つめ涙する近松の姿でエンド。



《感想》近松が狂言回しになり、全編を通してナレーション入りで話を進める。そして最後に、近松の想像の産物である二人の道行きの踊りが舞台上で演じられ、次に連れ戻された梅川が自害を図ろうとする現実世界を描いて、最後に近松の理想とする人形浄瑠璃に結び付けている。近松本人が見聞きした話を脚色するという設定で、現実と虚構をない交ぜにする、そのことが物語に奥行きをもたせている。
最後の人形浄瑠璃の演出が不思議な効果を生んでいる。観客席を背景に、舞台の奥からカメラを向け、奥に向かって演じている。そして観客席の近松の顔のアップでエンド。二人が演じる歌舞伎の幻想的な舞台シーンと、人形浄瑠璃がオーバーラップして、面白い映像世界を作っている。
とにかく主演の二人が、若く美しい。気弱で真面目な忠兵衛、下女にも心優しい気遣いを見せる梅川、お互い置かれた立場があるから踏みとどまろうとしながら、なおも惹かれあう切ない心情を見事に演じている。
古典的な世話話に、作者本人を登場させ、更なる作者視点を織り交ぜることで豊かな物語世界を作り、交錯するように挿入される文楽世界で、芸術性と作品の格調を高めている。
内田吐夢監督の代表作といえる1本である。

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投稿者: むさじー

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